紬の絹糸(前)





夢は全ての者に訪れる。
夜半に忍び、血みどろの手で頬を撫ぜゆく。
予言は密やかに資格者に与えられる。
時代の片鱗を。



*     *     *



 陽香、時は蒙帝陽騎の御宇。
 その後半、つまり悪行を恣にし、国を暗雲たらしめた皇后・栄芙明が最も猛威を奮った時期である。
 都・栄屯。
 そこは様々な国籍の人間が集う町。繁雑な通りには商人が溢れ、踊り子が路傍に舞い、焚きしめられた香が鼻孔をくすぐる。活発さを極めた商業都市。
 しかし栄屯は単に商人の町というだけではない。市を少し外れて北に行けば、栄屯がいかにも皇都といった、品が良く、冷たい面も持ち合わせていることが分かる。南側に市井の者の暮らしがあるのに対し、北側には格式の高い公の施設や、高級官僚の屋敷、そして最奥には紀丹宮があるのだ。
 その境目は丁度、栄屯を南北に分かつ、娃舛という川である。
 南とは趣を異とする北側には、四成大陸における大国を自負する陽香の誇りが感ぜられる。艶やかさと優美さに隠れた、機能美。洗練されたもの以外を一切排除する、高慢なまでの調和。
 特に夜などは、南北の差異が明らかとなる。夜のない南側とは違い、北側には静謐な夜が訪れる。たとえどこかの屋敷で盛大な宴があったとしても、他家の闇を乱すようなことはけしてなかった。とりわけ、紀丹宮は夜の栄屯にあって、最も閑静である場所であった。
 しかしその日、人々の高ぶりが夜を騒がせていた。
 上弦の月の下。
 それは紀丹宮から発せられ、伝播した。



 豪奢な牀に横たわっていた少女が、ゆっくりと身を起こした。
 端正なその容貌に睡魔の影はない。
 少女は眉を顰め、耳を澄ませた。
 ――屋敷の中の気配が落ち着かない。
 人の出入りが全くない、屋敷の奥にある少女の寝所までも、それが感ぜられる。
 少女は四肢に絡み付く、絹のような髪を払って、床に裸足をつけた。
 特に異変を告げる音などはない。ただ、静寂でもありえない。
「誰か」
 幽けき声で呼ばわる。
 特に冷たいわけではないが、感情の籠もらぬ言葉。
 外で控えていた女たちが、足音もなく忍び寄ってきた。無駄な言葉も、雑音も排除して、静かに少女の足元に跪き、指示を待つ。彼女たちは誰に命じられたのでもなく、この少女の前に出ると、自らの存在を押さえ込もうとしてしまう。あたかも己の存在が彼女の静謐を乱してしまうと、考えてでもいるかのように。
 しかし少女はそんな女たちを、視界に留めることはしなかった。浮世離れした、けぶるような眼差しは、女たちの預かり知らぬ世界を視ていた。
 長ずれば、佳人となるであろうと思わせる整った顔立ち。しかし少女を美しくさせていたのは寧ろ、儚い危うさであろう。
「………お母さまの元へ参ります」
 召し使いたちは深々と頭を垂れることで、承諾を示した。

 母の寝室を訪ねようとすると、真夜中にも拘わらず、母はまだ起きているという。聞くと、屋敷には突然の客がいるということだった。母は、それをもてなすための采配を奮っているところらしい。別に夫人自身が料理を造る訳ではないが、使用人たちを束ね、家のことを把握しておくのは夫人としての大切な役目だった。
 客人が通された客室の隣にある、控えの部屋に母はいた。
「桂姫(けいき)」
 母は、驚きながら娘を迎え入れた。
「どうしたのです」
「何が………起きているのですか」
 桂姫が問うと、夫人が狼狽したように表情を強ばらせた。如何にも無理やり、といった風に夫人は笑みを造る。
「お客様がいらっしゃったのです。貴女はもう寝なさい」
「お客様とはどなたでございましょう。屋敷の気配がざわめいて、落ち着かないのは何故ですか」
 夫人は、桂姫が並の少女よりも際立って聡いことを思い出し、溜め息をついた。しかし彼女は、桂姫の問いに首を振るだけで、答えようとはしなかった。そうして桂姫の身体を抱き締める。そんな夫人の肩は少し震えていた。
「なんでもないのよ………」
 母はそう、呟いた。



 この夜、壺帛一族の当主の元を秘密裏に訪ねた客人は、実は皇帝陽騎が第四子にして、皇太子・陽藍が放った密使であった。陽藍は栄皇后が生んだ皇子で、同母の兄弟の中では長男である。
 使者がもたらした情報は、壺帛一族を混沌せしめた。
 即ち――皇帝陽騎、崩御。
 陽藍は父帝の死による、己の身の危険を察知していた。実の母親の栄皇后芙明が、自らが女帝にならんと欲していたのだ。そして、そのために皇太子である陽藍を疎ましく思っていることは、あまりに明白であった。栄氏は、予想外に皇帝が早く崩じたせいで、焦っている。彼女なら、息子を手にかけることを躊躇いはしないだろう。
 陽藍が、密使を送る相手を壺帛一族の当主と思い定めたのには、理由がある。壺帛一族もまた、皇帝が死を迎えた今、危うい立場に立たされていたからだ。実直を絵に描いたような性格故に、実母である皇后と対立した陽藍と同じく、壺帛家の者たちはその己の正義に対する誇り故に、今までさんざん皇后に逆らってきたからだ。
 桂姫の祖父を壺帛思价という。代々文官の出である壺帛一族のなかにあって、正一品の驃騎大将軍にまでならしめた剛毅な人物であった。その息子、つまり桂姫の父であり、現在の壺帛家の当主は郭筬といって宰相の一人である。彼らは父子そろって、皇后栄芙明に蛇蝎の如く嫌われた。
 そうというのも、軍を掌握している思价の権勢は無視し難く、また郭筬は七人の宰相の内で唯一、真っ向から皇后の所業を非難する直諌の士だったからだ。
 思价は皇后の手によって謀殺された。一年前のことである。切っ掛けは、思价が側近たちを自宅に呼び、宴を開いたことだった。それを皇后は、軍を私物化して皇帝を弑す計画を立てているのだと言いがかりをつけた。誰の目にも明らかな讒言であった。それでも皇帝は讒言だと知りながら、皇后の訴えどおり思价に死を与えたのだった。
 そのように皇后は皇帝を意のままに操ったが、しかし思价の息子、郭筬を抹殺することだけは叶わなかった。皇帝は郭筬の才を惜しんだのだ。
 郭筬は、皇帝の精神がまだ健全であった頃から、目をかけられていた。彼には芸術全般に飛び抜けて素晴らしい才能があった。皇帝は彼の才能を殊の外愛し、それは栄芙明を寵愛するようになってからも変わらなかった。
 皇帝はその御宇の後半は、全く家臣の奏する諌言を聞き入れようとはしなかった。諌言されること自体を疎み、ときには激昴した。しかし郭筬にだけは、何度でも諌言することを許し、その言葉を最後まで静かに聞いていた。
 郭筬もまた、自分の言葉が聞き入られることはけしてないと悟りつつ、しかし皇帝の忠臣としての務めであると、飽きる事なく苦言を呈し続けた。それは、父親が殺された後も変わることがなかった。お互いの、けして実ることのない繰り返しは、それだけの空しさと、手放し難い絆に基づいていた。
 あるいは陽騎は、己の愚かさを自覚していたのやもしれぬ。自覚してもなお、逃れることが叶わぬ狂気。そして、完全なる徒労と終わることを知っているにも関わらず、唯一自分を現へと引き戻そうとする努力をやめぬ郭筬を、一番信頼していたような節があった。
 勿論、皇后にとっては面白くなかったはずだ。他の宰相たちは皆、自分に頭を垂れるというのに、郭筬だけは皇帝に守られている。彼女の怒りは長年心の奥に秘めていた分、激しく燃え盛ると思われた。皇后がその地位に飽き足らず、皇帝になろうという途方もない野心を抱いたのも、結局のところ皇帝の心なくしては、今の自分の繁栄はありえなかったことを知っていたからだろう。
 皇帝が崩御した今、壺帛一族は皇后の手から完全に逃れることは不可能だった。自分の命もさることながら、皇太子・陽藍が心配したのはこの点だった。
――そして二週間の後、陽藍は彼自身が予想した通り、栄皇后によって処刑される。
 死んだ陽藍の代わりとして目されたのは、栄皇后の次男であり、皇帝の第七子の太伶だった。周囲の人々は、彼がすぐにでも皇太子位を受け継ぎ、立太子から一週間もせぬうちに皇帝として戴冠式をあげるだろうと思った。しかしなんと太伶は、母親を恐れるあまり皇位継承権を放棄したのだ。
 残る皇后の息子は三男の考龍だけ。この段に至って、彼女もやっと安心したのか、考龍にはなんら危害を加えなかった。考龍は、皇帝となった自分の後継者として、生かすことにしたのだ。他の息子ならば、反抗してくる可能性があったが、生まれてこの方、自分に逆らったことのない考龍ならば、皇帝となった自分を脅かすことはないと考えたのだ。
 そして皇后は女帝の名乗りを上げる。自ら名を芙陽と宣し、皇帝になろうという野望をあからさまにした。
 壺帛一族にとって、日が経つにつれて立場が苦しくなってゆくその状況下で、その当主の館の緊張は並ではなかった。男たちは角を突き合わせて喧々囂々し、女たちの情緒は常に不安定で、号泣するか、わめき散らすかのどちらかであった。
 そんな中で沈静を守り続けていた本家の一人娘・桂姫は、一人自室に籠もりっきりだった。彼女は今回の政変のことをそれほど詳しく知っている訳ではないが、一族郎党皆殺しの憂き目に遭うかもしれないことは理解している。しかし、桂姫は他の女たちのように騒ぎ立てたりはしなかった。徒に騒いでも無益だと知っているので、桂姫は動揺することが出来ないのだった。
 あるいは桂姫が動揺しない理由は、本当の“生”を知らないからかもしれない。あまりに深窓であり、浮世離れた桂姫は、外の世界に関心があまりなかった。きちんと生きれていないために、死を恐れることも知らないのかもしれない。
 桂姫が琵琶を爪弾いていると、その父親の郭筬がやってきた。父親が自分のもとを訪ねてくるのは久しくないことだった。
 郭筬は心持ち張り詰めた空気を纏って、娘に告げた。
「会わせたい御方がいる。高貴な御方でいらっしゃるから、失礼のないように身支度をしなさい。一刻ぐらいしたら迎えをやる」
「承知致しました」
(どなたなのかしら)
 疑問に思いながらも、何も問わず桂姫は頷いた。
 もしかして、と桂姫は思いを巡らした。昔日の権勢を失いつつあるとはいえ、名門である壺帛一族の当主が『高貴な方』というぐらいだから、客は皇族かもしれない。
 父親が去った後、入れ違いに母親が訪ねてきた。流石に何事かと思って、桂姫は母親を迎え入れた。
「心して聞くのですよ」
 一気に老け込んだ母は、桂姫の瞳を見つめながら、そう前置きした。
「お父さまは、皇后陛下に叛くことを決意なさったのです」
「叛く」
 無意識にその単語をなぞって繰り返したが、心は揺れなかった。桂姫の変わらぬ穏やかな様に、母親は焦れた。
「お父さまは陛下と争い、代わりに他の皇子を擁立すると。もし仕損じれば………。貴女も、万一のときの覚悟を決めておきなさい」
「はい」
 おとなしく頷いたものの、桂姫にはやはり、そんなに驚くべきことだとは思えなかった。このまま無為に皇后に頭を垂れたところで、見逃してくれるとは思えない。ならば決死の覚悟で反抗すると決めた父親の行為は当然だと思う。何を今更恐れることがあるのか。
 だが、桂姫の母親にしてみれば、皇后に反逆するということは、無条件に、ただただ恐ろしいばかりだった。革命に身を投じると、夫に告白されたとき、彼女は卒倒さえした。そんな夫人の反応は、世の淑女たちの当然の反応だった。
「では、お客様とは」
 もしかして父親が新たに擁立しようとする皇子では。
 このとき桂姫は、その皇子とは、栄皇后と対立する妃を母にする者だと思っていた。
 桂姫の様子に気を取り直して、夫人は娘の問いに答えた。
「考龍殿下であらせられる」
 考龍皇子は皇帝の第十二子であり、母親は栄皇后その人である。栄皇后は皇子を三人産み落とした。長男が陽藍、次男が太伶、そして三男が考龍だった。確か今年で二十二歳。
「考龍皇子………栄皇后陛下は実のお母さまでいらっしゃるのに?」
 意表を突かれて、桂姫はそう言っていた。



 円卓を囲んで、その青年は父親と酒を酌み交わしていた。その青年が考龍皇子だと知れると、桂姫はやはり緊張した。
 主従関係である彼らが、そのように同じ座にいても良いのかと、桂姫は僅かに心配したが、父親はともかく、皇子もまた気にしているようでもなかった。
 しずしずと考龍皇子の前に進み出た桂姫は、いとも優雅に辞儀してみせた。考龍はその繊細さに、何か美しいものを見るような目をした。
 桂姫の容貌は、少女でありながら、間違いなく美貌と呼べる種のものだった。それは、ただただ儚いばかりのものだった。強さなど、破片も見いだせないように感ぜられる美しさだった。それは考龍の好みではなかったが、思わず目を引く程に、桂姫の美しさは特別であった。
 桂姫は父親の指図するままに、末席に坐した。そうして、初めて皇子の顔を拝んだ。
 考龍は優しげな青年だった。反逆を企む皇子だというから、桂姫は何と猛々しい皇子なのかと思っていたのだが。
 実際の皇子は、長身であるものの細みで、武よりも文を得手としているのではないかと思わせる。物腰も丁寧で、知性の煌きがあった。桂姫は、彼女にしては珍しいことだったが、この皇子に惹かれるものを感じていた。このような、上辺だけでなく、才も伴った美丈夫を見たことが今までなかった。
 帝位が欲しいだけなら、彼は起たなかっただろう。それは母親である栄皇后が死ねば、自動的に転がり込んでくるのだ。何も危険を冒すことはない。そんな考龍の行動も、桂姫が彼に惹かれた理由のひとつだろう。
「貴女のお父上には迷惑をかける」
 考龍はそう桂姫に言った。いいえ、とだけ桂姫は返す。
 皇族だからといって、いばり散らす方ではないのだわ、と思うとますます好意が持てた。
 だがこのときの桂姫は、将来自分が、考龍に熱病じみた思慕の念を持つことなど、思いもよらなかった。好意は憧れにすぎず、穏やかなものであったのだ。
 しばらくした後、桂姫は座を去ったが、皇子と郭筬はその場に止まった。彼らはしばし無言になり、酒の名残を味わっていた。しかし、それは長くは続かなかった。皇子はなにも、和やかな語らいをするためにここを訪れた訳ではないのだから。
 先に切り出したのは、考龍だった。
「本当の良いのか。手落ちがあれば   死ぬぞ」
 誇張でもなんでもなく、反逆とはまさに命懸けの行為だった。
 真摯な皇子の言葉に、しかし郭筬は笑った。
「御身への臣の忠誠をお疑いになるか」
 たいして力強いわけでもない、しかし重みを感じさせる口調だった。若き皇子はそこに、自分など及びもつかぬ葛藤と恐れ、そして悟りを見た気がした。そんな郭筬に青二才の自分が何か言うのは、笑止かもしれぬ。
 しかし問わずにはいられなかった。確かめぬことには巻き込めない。
「だがお前は、父上の腹心であったではないか」
「臣は天子さまの臣であり、皇后の臣ではありませぬ」
 陽騎はもともとさほど賢い君主ではなかった。しかし、大過なく治めようと思えば、出来たはずだった。歯車が狂う前の皇帝は、特に好色でも、怠け者でもなかった。凡庸で、よりよく革新するほどの力はなくとも、次代の皇帝に位を譲るまで、国を平らかなままに維持するくらいの裁量はあったはずだ。
 何が狂ってしまったのか。
 女に溺れずにはいられぬほどに、それほど、帝の位は孤独なのか。
 だが心に巣食う哀しみを隠し、郭筬は皇子に晴れやかに笑ってみせる。
 哀しみは――すでに感傷となっている。
 実の息子の、考龍でさえも。
「それに、臣は栄皇后が玉座に登ると真っ先に誅殺される身です。言うなれば己がため。二度とそのような考え、思し召されるな」
 考龍はほろ苦く笑った。
「――すまぬ」



*     *     *



 再び栄屯の夜が乱されたのは、その一カ月後。
 桂姫は母親とともに、父親の帰りを固唾を呑んで待っていた。
 革命の日。
 考龍皇子は壺帛家だけではなく、他にも協力者を得ている。皇子の妻の実家である泰家などがそうだ。彼らは今夜栄皇后芙明の寝殿を襲う。
 お父さまは、そして考龍殿下は成功するだろうか。
 桂姫は壺帛家の命運だけを心配しているのではなかった。あの優しげな皇子の身に何か起こってやしないかと思うと、心が乱れた。
 そして深夜、父親は帰って来た。様子を見に行った桂姫は、父親だけでなく皇子もこの屋敷内にいると耳にして驚いた。
 どうやら襲撃は成功したらしい。しかし朝になってそれを皆に知らしめるまでは、まだ何が起こるかもわからない。皇后も軟禁したものの、どんな伏兵があるか分かったものではない。紀丹宮に止まることは危険だ。だから皇子は一旦壺帛家の当主の家に身を寄せることにしたのだ。紀丹宮には、仲間である他の官吏たちとその私兵が一応詰めているので、心配ないだろうが。
 母親は桂姫に、勝利した皇子を祝いに伺えと言ったので、桂姫は慌てて皇子の元へ急いだ。夫人は礼節を気にしただけだったが、桂姫は皇子が怪我をしていないかが心配だったので、ありがたかった。
 考龍は、前回会ったのと同じ部屋にいて、もてなされていた。桂姫は名乗ってから入室し、考龍皇子と向き合った。
(………え)
 考龍皇子のために祝福の言葉を用意していた桂姫は、しかし一言も口にすることが出来なかった。
 考龍は、静かに笑みをたたえていた。年若い帝となることを、周囲に心配させることはないと思えるような、確かな笑みだった。
(考龍殿下………?)
 怖い、と桂姫は思った。
 血が引いてゆくのが分かる。
 研ぎ澄まされ、血を含んだ刃物のように。
 考龍の纏う気はあまりに厳しかった。
(革命には勝利したのに)
 あの日見せた穏やかさはどこにもない。あのとき惹かれた彼の優美な物腰は、単に完璧な作法を守っただけのものにしか感ぜられない。
 ただ、厳しいだけ。優しさも線の細さもない。
 人の性質は、こんなにも短期間に一変するものなのか。
 こんなにも容易く、変質してしまえるものなのか。
「桂姫殿?」
 考龍の問う声に、桂姫は自覚しているよりも尚強く、自分が驚愕していることを知った。自覚しても驚愕から抜けられない。
 桂姫は心の端で、自分の過敏すぎる反応を不思議に思った。
「いいえ、なんでもございません」
 苦労して、桂姫は頭を振った。そしてそれを態度で証明するために考龍の瞳を見つめ返し   捕まった。
 なんという吸引力………っ!
 絡み取られるようなものではなく、奪われるかのような、強引さ。暴力的な思惟。
 心が震える程に超然とした、厳しい姿。その精神の在り様。冷たく険阻なその運命。考龍が変質した後の姿を、全て桂姫は愛した。考龍は、烈しすぎるものを知らずに育った桂姫に、瞬く間にそれを教えた。
 汚濁と隣り合わせの愛情を知った桂姫は、有無を言わさず俗世に引きずり出された。そして桂姫は、初めて人間らしい感情を身につけたのだ。最も熾烈な形で。
 周囲の人々は桂姫の変化に気づかなかった。彼女は相変わらず浮世離れした少女でしかなかった。しかし桂姫のなかには、確かにさまざまなものが育まれ出していた。生きるということを彼女は覚える。
 考龍への執着はそのまま、彼女がようやく生き始めたということをも意味したのだった。


 桂姫はその後、皇帝となり陽龍と改名した考龍の後宮に収められる。
 それは桂姫にとっては、運命だった。たとえ陽龍にとってはそうではなくとも。
 ――後の三公主に関わる人々の運命は、個々の視点からすれば、けして交じり合わない。唯一の接点は陽龍とその紡ぐ夢。死の瞬間まで、彼らは完全に無自覚のままであった。
 だから桂姫の感じた運命は、ただ彼女だけのものであった。それが彼女を薄幸に見せた。彼女が儚い運命に身を任すだけの人生を送ったのもまた、事実であったから………。
 しかし。
















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